まじめなお話

久々の更新です
先月、母が突然亡くなりました
三週間ぐらい経って幾分落ち着いたので、文章にしてみたくなって、ひさびーさの更新をするに到ったわけです

母は、還暦過ぎたばかりだったので、女性の平均寿命からするとまだまだ早いし、実際身体に大きな病を抱えてるようには見えませんでした
一方、父は、若い時から倒れるほど弱いことはなかったものの、心臓の薬を飲んでいて、のちに糖尿にもなり、この四年間で心不全と、小腸動脈血栓で二回倒れて入退院を繰り返し、今は人工透析の日々で、落ち着いているものの、年から言っても母より少し先に往くのだろうと、たぶん本人も含めて思っていたと思います

しかし、母のほうが先でした
早朝にトイレで倒れていた母を、父が見つけて救急搬送されたもの手遅れでした CTで見てもらったところ、死因は脳内出血との事
前日までは、普通に活動しているように見えたので、青天の霹靂と思ったわけですが、全く兆しがなかったわけじゃあなかったんです

母は、血圧が高めだとして、ここ何年か、血圧を下げる薬を飲んでおりました
一週間くらい前の夕方、母は「風邪っぽい 頭痛がする」と近くの内科に掛ったんですが、わたしにポカリスエットを買ってくるように言い、父は、メシの用意もせずに医者に行くのは迷惑だという事を言ってました
内科でどんな診断だったのかは、聞きそびれたけど、風邪薬と痛み止めをもらったらしく、頭痛がいくらか解消したため、すぐに日常生活にもどったようでした
ただ、完全に治ったわけじゃなくて、あまり経験したことのない頭の痛みがあるとか、前日の夕食のメニューが思い出せないとか、不安なことがなかったわけじゃなかったんです
でも、すべて見逃してしまいました

後日、テレビで脳卒中の早期発見についてやってるのを見た妹は、あの時、行きつけの接骨院に行ってれば、先生に警告してもらえたかもしれないと後悔してるのですが、わたしも頭痛のことをもっと聞いていれば・・・、自分大事な父との防壁になれていれば・・・、当日実家にいられれば・・・と幾つもの後悔が湧いてきます

脳内出血は高血圧と気温の急激な低下とで起こったのだとしても、頭痛を軽く見ずに対処していれば、助かったのかもしれない
わたしにとっては、次は無い
母の介護は、わたしがするんだろうなあ・・・でも、少し先なんだろうなあとの覚悟というほどでもない決意、来年あたり結婚するとして、彼女をちゃんと会わせなくてはと思ってたこと、実家に近い手頃な借家を捜さなくてはと思ってたこと、それらが全て無効になってしまった!

この文章を読んだ、わたしの知ってる人も知らない人も、家族や大切な人の健康や、日常の安全に、もう少し気を配ってくれるといいなぁと思います
「人間死ぬ気でやれば何でもできる」とか「一日一日を大切に生きる」って言葉はよく言われるし、理想だと思う でも、実際に失うと思ってなかった時点で、認識の甘さを思わずにはおれません

母と過ごす時間が突然無くなった事は、わたしにとって今後は余生であるかの如き錯覚をおこしました まだ十年か二十年先と思ってたのがゼロになった事が、それだけ極端な気分になるんですね


さて、母が亡くなったとはっきり知った時点で、思い浮かんだのは、本人が知ってか知らずかの、まるで人生のまとめに入ってるような言動でした
たとえば、三十年以上やってきた町内会の夏の行事を今年でやめるだとか、来年はなかなか行けなくなるから今年のうちに孫と旅行に行くだとか、最初で最後の望みと言って自作の詩を自費出版の冊子にするだとか、そういったことが幾つも浮かんだんです
電車やバスの回数券の購入や、銀行の積立預金を直前にしてる事実は、本人がその日を知らずに過ごしていた証拠だし、悲しみが湧き上がってくるけど、やりたいことは幾つも片づけていたんだということは慰めになります

みなさん、家族でも友達でも、大切に出来なかったという後悔のないように、自分の人生も大切に一生懸命やっていきましょうね